第6回東アジアの平和のためのZENKO参加団in広島(報告)

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広島参加団のちらし

2025年3月22日(土)~23日(日)の週末、「第6回東アジアの平和のためのZENKO参加団 in 広島」を開催した。

岩国や呉を含む広島周辺での軍事化の現状と軍都廣島の学習を主な目的として始めたZENKO参加団 in 広島の企画だが、今回は関西から駆け付けたメンバー6名とともに呉と広島を回った。
時あたかも、週明けの3月24日(月)には海上自衛隊呉基地に「自衛隊海上輸送群」が新設され、また東京市谷の防衛省には自衛隊「統合作戦司令部」が開設されるというタイミングでの開催となった。
いずれも陸海空3自衛隊を一体的に運用し、日米合同で「台湾有事」への即応体制を強化する動きの一環だ。
対中国の戦争準備が着々と進められている。すぐそこまで来ている戦争の足音をひしひしと感じながらの開催となった。

1日目

「『自衛隊海上輸送群』配備に抗議、呉を再び軍事拠点にさせない!」集会

初日の午後1時半、JR呉駅から東へ徒歩5分の「ビューポートくれ」に集合し、午後2時から「ピースリンク広島・呉・岩国」主催の「『自衛隊海上輸送群』配備に抗議、呉を再び軍事拠点にさせない!」集会に参加した。

集会では「追跡在日米軍!リムピース編集部」の星野潔さんのお話「米軍横浜ノースドックは何をしているのか」を聞いて学習を深めた。

横浜港のど真ん中にあるノースドックに米陸軍揚陸艇部隊が配備されたのが昨年、2024年の2月。ZENKO神奈川のメンバーからもこの件について聞いていたが、星野さんの詳細な解説でノースドックの機能強化の状況、そして現在進められている琉球弧の軍事化とのつながりをはっきりとイメージすることができた。

琉球弧での「機動展開前方基地作戦」(EABO:「イーボ」Expeditionary Advaned Base Operation)では、米海兵隊から新たに編成された「海兵沿岸連隊」(MLR:Marine Littoral Regiment)という比較的小規模な部隊が、主に無人化された対艦/対空ミサイルやドローンなど多様で強力な兵器を装備して、島々に設置される臨時の「前方基地」に分散配置され移動しながら戦闘する。

兵士は攻撃される前に移動するというが、島に残される住民の命はどうなるというのだろうか。地元住民を全く無視したこの米軍の作戦を自衛隊も同様に担うことになる。その兵力や軍事物資の移送をノースドックの揚陸艇部隊や海自呉基地に新設された「自衛隊海上輸送群」が担う。

集会では、24日の午後1時に、「海上輸送群」新設に抗議して、海自呉地方総監部に申し入れをすることも提起され、結集が呼びかけられた。

「日鉄呉跡地」を見学

集会後、3台の車に分乗して「日鉄呉跡地」の見学に向かった。集会会場から東へ向かって海自呉教育隊の広い敷地を右手に見ながら、海自呉地方総監部の正門前を左折、右手に軍艦大和を建造した旧海軍工廠(現在はJMUやIHI)のドックを見下ろしつつ進んで丘を越えると、右手に海上自衛隊呉基地が現れる。

護衛艦や音響測定艦、潜水艦など20隻近くの艦船が3つのバースに分かれてひしめくように停泊していた。

「日鉄呉跡地」は、この海自呉基地の音戸側に隣接している約130㌶(マツダスタジアム36個分)の広大な土地だ。この土地を防衛省が一括して買い上げ巨大な軍事基地にしようとしている。海自呉基地は一挙に2.5倍の広さになる。日鉄呉跡地は巨大な高炉等を除いてかなりの建造物の撤去が進んでいた。参加者は跡地の規模に圧倒された。

この土地を民生利用した場合、最大6兆3千億円もの経済波及効果がうまれるという試算も出ている。呉市は、市民からの抗議の声、住民説明会を求める声に対して、住民の声は市議会が反映しているとして全く応じていない。参加団一行は、これ以上の軍事化を許してはならないとの思いを強くして一日目の行程を終えた。

2日目

平和記念資料館

2日目は朝8時半からの平和記念資料館の見学で始まった。1945年8月6日をスタートラインとした平和学習では戦争の全貌は伝わらない。資料館内には戦前の軍都廣島の説明がほとんどなく、原爆による被害の側面のみが強調されている。参加者からもそうした声が聞かれた。資料館出口先にある被爆アオギリの西側に接っするように、2023年5月に広島で開催された主要7か国首脳会議(G7広島サミット)の記念展示館が作られている。核兵器廃絶を究極の後景に追いやり、核抑止力を肯定した「広島ビジョン」を出したG7広島サミットを何の批判的な視点もなく展示している。次回国内でG7サミットが開催されるまで延々と展示されるという。

金鎮湖(キンヂノ)広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)会長のお話を伺う会

一行は資料館から元安橋西詰にあるレストハウスに移動し、10時半から「金鎮湖(キンヂノ)広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)会長のお話を伺う会」に臨んだ。李実根(リシルグン)さんが1975年に結成された朝被協は今年でちょうど50周年を迎える。金会長は10年前に李前会長からバトンを受けられて現在に至るまで朝鮮人被爆者の権利補償の運動の前面に立って来られた。金会長は、戦後80年を振り返り、在朝被爆者への補償が未解決になっている問題に無念さを表明された。

お話しの中で一番心に突き刺さったのは、1990年代以降、幾度となく訪朝し在朝の被爆者に会い、そのたびに被爆時の証言をしてもらっていたが、やがて被爆者の方は、辛い話をしても一向に問題の解決に向けた前進が見られないことから積極的に会ってはいただけなくなったというくだりだった。在外被爆者の内、在朝被爆者を唯一未解決のまま放置してきた日本政府、そしてその政府をもつ日本の主権者としての責任を痛感する。残された時間はわずかだ。狭い会場を埋めた参加者は一様に解決のために共に連帯していく決意を強くした。

ガザ空爆再開に抗議しスタンディングで抗議

この後、参加団メンバーはドーム前に移動し、3月18日に停戦合意を破ってガザに大規模な空爆を開始したイスラエルとそれを支える米国政府、さらに黙認している日本政府に対して、スタンディングで抗議の意思表明をした。「イスラエルはガザ爆撃をヤメロ!Stop Bombing Gaza!」と日英両語で書いたバナーに多くの観光客が立ち止まって写真を撮っていた。イスラエルからの旅行者も話しかけてきた。彼は「自分は対話が唯一の解決策だと思う」と話した。80枚用意したチラシは30分でほぼなくなった。

旧日本陸軍「中国軍管区輜重兵補充隊」モニュメント

昼食後、ドーム前から元安川沿いの護岸道路を歩いて、旧日本陸軍「中国軍管区輜重兵補充隊」(以下「輜重隊」(しちょうたい))のモニュメントへと向かった。ドームから北方向に目をやれば巨大なサッカースタジアムが見える。その南側にある城南道路を挟んだ護岸の一角にそのモニュメントがある。

一昨年完成したこのスタジアムの建設は2021年から始まったが、建設予定地からは6000平方メートルもの敷地を持つ輜重隊の遺構が発掘され、市民からは軍都廣島の貴重な戦争遺跡として保存すべきだとの声が上がった。

輜重隊とは、旧日本陸軍が侵略戦争を進める過程で、食料・兵器・燃料等を戦地に運搬する兵站部隊で、当時は運搬の主力は馬であったため、「馬碑」も置かれている。このモニュメントには、1945年7月、原爆攻撃の直前に米軍が撮影した広島城周辺の航空写真を使った説明版が設置されている。輜重隊を含め陸軍幼年学校や歩兵11連隊、陸軍病院、西練兵場等々、広島城周辺に旧陸軍の軍事施設がひしめいていた様子が一目瞭然だ。

参加者は広島の街のいたるところにある戦争の跡を知り、記憶し、伝えることの大切さを確認し、今回の参加団の行程は全て終了した。

ZENKO広島は、翌24日、海上自衛隊呉地方総監部への申し入れにも参加し、抗議の声をあげた。今後とも地元広島でのあらゆる軍事化の動きに反対の声を上げていきたい。

(ZENKO広島:日南田 2025年3月26日)

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