2月17~19日に「第5回ZENKOユース平和参加団 in 沖縄」を開催しました。全国から10~30代のユースメンバー8人が参加し、五感で沖縄の自然を体感し、交流することで平和への思いを新たにしました。
1日目
糸数アブチラガマ
1日目は沖縄戦の実相を学ぶため、南部の戦跡に行きました。糸数アブチラガマは湿気で空気が重く、5秒間懐中電灯を消すと、全く何も見えず、ガマの中を水が落ちる音が響きます。この真っ暗なガマの中で軍民混在となり、数カ月も過ごしていたとは信じられません。外に出た時の太陽の光、空の青さが清々しい一方で、それが当たり前ではなかった時代があったのだと実感しました。
ひめゆり平和祈念資料館
ひめゆり平和祈念資料館では、沖縄戦で犠牲となった生徒・教員の写真が並べてありました。また平和の礎では、軍民、国籍を問わず、沖縄戦の犠牲者の名前が刻まれています。この人たちの一人ひとりに人生があり、夢があり、それぞれの沖縄戦があることに思いを馳せました。
2日目
辺野古 ゲート前、グラスボート、浦添西海岸
2日目は辺野古に行きました。ゲート前は第3ゲートの工事により森林が伐採され、自然が破壊されています。またグラスボートで海に出ると、天候は良かったですが、風と潮の流れの影響で波が高く、大きく船が揺れました。大浦湾の自然の強さを感じました。いつもの青サンゴやテーブルサンゴの群生地は見れませんでしたが、クマノミが棲息するサンゴのスポットを見ることができました。海上には台船に山のように土砂が積まれ、K9護岸ではトラックへの積み替え作業が続いていました。
この日は米軍・那覇軍港の移設予定地である浦添西海岸にも行きました。都市部にサンゴ礁が残る貴重な海です。ショッピングセンターの前に広がり、非常に透明度が高く、多くの人々の憩いの場所となっています。ZENKOメンバーもきれいな海に足を浸け、自然を感じることで、この自然が壊されるのを何としても止めたいと思いました。
3日目
具志堅隆松さんと南部の熊野鉱山へ
3日目は遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんに南部の熊野鉱山を案内して頂きました。魂魄の塔の近くの現場は遺骨が見つかっているにも関わらず、鉱山の開発が進められ、遺骨混じりの土砂が辺野古の埋め立てに使われようとしています。具志堅さんは遺骨保全の条例制定とともに、未開発の緑地帯を沖縄県が買い取るため、全国に資金援助を呼びかけることで、問題を全国化しようと奮闘しています。実際に具志堅さんが遺骨を収集した現場も案内してもらいました。けもの道かき分けて行くと、現場は2mほどの大きなくぼみとなっています。周辺の環境から沖縄戦の当時ここに隠れていたのではないかと推測し、具志堅さんが長い期間をかけて採掘作業をされたそうです。ここには1体の遺骨が見つかりました。1体しか見つからないこと、顎から頭蓋骨に銃弾が貫通した跡があったことから、負傷兵が自決したのではないかとのことです。その他、銃剣、ガスマスク、飯ごう、水を運ぶ瓶、そして米軍の懐中電灯も見つかりました。
普天間基地、嘉手納基地
普天間基地ではフェンス越しに間近でオスプレイを見て、嘉手納基地では戦闘機が騒音を轟かし訓練する様子を見ました。
“真の平和の実現”を
夜は交流会を行い、感じたこと、平和をつくるためにどうすれば良いか話し合いました。今、まさに第二の沖縄戦が起きるのではないかと軍事的緊張が高まる中で、若い世代が知り、学び、交流を通して”戦争を体験”を継承することで”真の平和の実現”につながるのではないかと感じました。