「今すぐ戦争止めよう!東アジアに平和を!2022 ZENKOスピーキングツアー」(2022年11月26日〜12月4日)を全国9会場9日連続で開催しました。沖縄・南西諸島(琉球弧)の軍事要塞化の進む現地から平和を求めて闘う9人から報告が行われ、オンラインを含めのべ約1000人が参加しました。大規模な日米軍事演習「キーン・ソード23」が行われ、岸田政権が軍事費2倍化・敵基地攻撃能力保有に突き進む中で、軍事化を阻止し、対話で平和を実現しようと全国に発信しました。
11/26(土)北海道集会【石垣市議会議員・花谷史郎さん】
メディアと全く異なる石垣島の真の姿
花谷史郎さんは、地元で農園を営み、「基地と農業は両立しない」と市議会議員となり、議会でも会派“ゆがふ”を結成し、問題を提起しています。
メディアでは、中国船舶(海警局や民間漁船)による「領海侵犯」ばかり話題になりますが、そのほとんどが日本領海ではなく接続水域(領海外)での活動であり脅威ではないこと、中国政府が「1つの中国」を公式見解としている以上、台湾へ侵攻すれば「自国民」に銃を向けることになり現実的ではないことなど、メディアとは全く異なる南西諸島の実態を報告いただきました。
石垣市当局が自治基本条例を廃止しようとしていたことや、それが否決されると自治基本条例から「住民投票条項」を削除するなど、基地誘致のため、なりふり構わず民主主義、地方自治破壊が行われたことも暴かれました。
石垣島のミサイル基地は、2023年3月末の完成に向け工事が強行されています。「これからは基地があることを前提とした闘いに転換する必要があるが、諦めずに頑張りたい」との花谷さんの決意を受け、今後も連帯を継続していきたいと思います。
11/27(日)東京集会【ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会・新垣邦雄さん】
迫る第二の沖縄戦にどう向き合うか
11月10~19日、日米共同統合演習「キーン・ソード23」が実施されました。沖縄を戦場とする「台湾有事」作戦を想定した実戦訓練です。陸上自衛隊の地対艦ミサイル、米軍のロケット砲「ハイマース」が投入され、与那国島の公道を陸自の戦闘車が走行しました。民間空港・港湾、公道を使用し、国家総動員的な体制で戦争準備が進んでいます。
新垣さんの報告で、南西諸島の作戦がどれだけ非人道的かが浮かび上がってきました。治療・搬送訓練では負傷した自衛隊員・米兵を救護するだけで住民は捨て置かれます。石垣島「離島奪還」作戦の自衛隊内部資料には、隊員の「残存率」30%(=ほぼ壊滅)とありますが、住民の生存率は記載されていません。隊内誌には「住民混在の国土防衛戦争」と書かれています。
小さな島にミサイル基地を置けば、当然そこに敵国からのミサイルが飛んできます。住民は逃げようがありません。避難シェルターは「軍事強化のアリバイ」です。「占拠された島を奪い返す作戦」であり、住民は敵ミサイルと自衛隊ミサイルと二度も標的にされてしまいます。
防衛省は「継戦能力」と言い出しています。大量の最新・防御不能のミサイルを南西諸島に配備します。米軍は核搭載可能な中距離ミサイル配備まで計画。北京を狙うこともでき、中国の反発は高まります。安保法制(戦争法)は「自衛隊の自動参戦装置」です。これに「敵基地攻撃」論が加われば、中国軍が在日米軍を攻撃していない段階で自衛隊が中国軍を攻撃する事態も懸念されます。
犠牲は沖縄だけにとどまりません。在日米軍総司令部は東京の横田基地にあります。沖縄・南西諸島だけが攻撃目標とされる保証はありません。
私たちに何ができるか。知ること、学ぶことです。ミサイル要塞化写真展(提供:東アジア共同体研究所)を広げましょう。国防は政府の専管事項ではありません。主権者である私たちが「ここを戦場にするな」と声を上げましょう。
11/28(月)兵庫集会【宮古島市議・下地茜さん】
軍民分離の原則に立ち戻れ
宮古島の保良に自衛隊基地が作られています。2021年、沖縄防衛局は「弾薬庫で騒音は出ない」と説明していましたが、3か月しないうちに音の出る火砲訓練をしました。国会議員、メディアも入れて、沖縄防衛局に申し入れに行き、訓練は止まりました。申し入れの成果です。
宮古島のある南西諸島はミサイルが配備され、中国に圧力をかける動きになっています。有事際には最前線となります。「台湾有事」では軍事施設、弾薬庫、港湾が狙われるでしょう。自衛隊は国防が任務であり、住民保護は自治体が行うことになっています。宮古島住民5万5000人の避難には22日もかかります。また、避難後に戻ってこれるのか疑問です。硫黄島は戦時中、住民が避難したが、戦後戻ってきた人はおらず、自衛隊基地となっています。インフラ復旧ができなかったからです。
自衛隊の地下施設を住民避難シェルターに使えなどの意見がありますが、ジュネーブ条約違反です。軍民分離の原則に立ち戻りたいです。今の状況は、過去のキューバ危機に似ています。軍拡がさらに軍拡を招いています。結局は軍縮でなければおさまりません。
原発の反対運動をやっている人たちと思いが同じと感じます。取り組んでいる内容は違いますけど、例えばカジノ誘致反対に声を上げている人たちにも勇気づけられます。自分の住んでいる場所で声をあげることが大事なんだと思っています。
11/29(火)神奈川集会【沖縄県統一連・瀬長和男さん】
新基地阻止は次の戦争を止める力
瀬長さんは、沖縄・琉球の歴史を振り返りながら、なぜ辺野古新基地建設に反対しているのかを説明して頂きました。沖縄戦は沖縄を守るためでなく「国体護持」のため、沖縄が捨て石にされたのが本質です。また沖縄県民の4人に1人が犠牲となっています。沖縄戦の教訓は、「基地があったから戦場になった」「軍隊は住民を守らない」「命どぅ宝」です。その経験から沖縄の人々は戦争につながるものに反対しています。
日米地位協定により、米軍は必要な時に必要な土地を使えます。2004年の沖縄国際大学のヘリ墜落、2016年のオスプレイ墜落でも米軍が規制線を張り、市民も警察も中には入れません。また米兵の犯罪刑法犯は8割超が不起訴となっています。さらに、どれだけ環境を汚染しても基地返還後の原状回復義務はありません。沖縄は土地も海も空も奪われ、PFAS(有機フッ素化合物)汚染が示すように安全な水さえも奪われています。PFASの汚染問題は現在、全国に広がり始めています。
1972年5月15日に沖縄は「復帰」を果たしました。しかし、「核も基地もない平和で豊かな沖縄」は叶わず「核抜き本土並み」の返還に。さらに、SACO合意により「核抜き本土並み」返還の約束を破棄し、「県内移設」により沖縄を永久に米軍基地の島に(米中対立、台湾有事で戦場に)変えられてしまいました。
辺野古新基地建設は、現場で1分1秒でも遅らせる闘いで、活断層、軟弱地盤、高さ制限など様々な問題が明らかになりました。なぜ無謀な工事を続けるのか。普天間基地を米軍が使用し続ける「口実」となっている。また、辺野古関連工事のほとんどは談合に等しい落札率で、利権の構造は明らかです。辺野古を自衛隊基地として残すことも目的の一つです。
辺野古新基地建設は止めることは可能です。玉城デニー知事は全国キャラバンを再開しました。新型コロナが収まれば訪米団の派遣も再開できます。オール沖縄会議が始めた国会請願署名にも協力をしてください。連帯の輪を全国に、世界に広げることに沖縄の未来がかかっています。新基地建設阻止は次の戦争を止める大きな力になります。
11/30(水)京都集会【沖縄平和市民連絡会・北上田毅さん】
人が集まれば止められる
北上田さんからは、自治体の土木技術者として働いていた経験を生かし、辺野古の建設工事の状況について詳しく報告して頂きました。辺野古の土砂搬入は4年間で、全体の12%程度しか入っていません。焦っているのは防衛局です。しかし、土砂の運搬は続いています。海上輸送の搬出元である本部町塩川港での抗議行動(11/11、11/12)では通常1日800台のダンプ運搬を200台にまで抑えました。「人が集まればもっと遅らせることができる」と、現地の闘いへの参加を呼びかけました。
また、軟弱地盤対策の調査不備などを理由とした県の設計変更「不承認」をめぐり、県と国との訴訟について触れました。現在3件の訴訟がありますが県は劣勢です。北上田さんはたとえ敗訴しても、再度「不承認」にすることができると指摘します。それは、県が不承認理由にあげていない問題点がまだまだあるからです。
まず「南部地区の土砂による埋立問題」です。南部地区は沖縄戦の激戦地。採取される土砂には遺骨が混じります。知事は、南部地区の土砂が使用されるかどうかわからないとの防衛省の弁明を受け入れ、不承認理由にはしませんでした。しかし、「(設計変更で)土砂採取の候補地として認めては、阻止することはできない」と北上田さんは強調します。人道上の問題だけではありません。土砂運搬のダンプが生活道路を走ることの影響を防衛省は調査・予測していません。環境アセスメント法に反する行為です。
「耐震設計」の問題も大きいです。政府の地震調査委が3月に公表した長期予測では「M8クラス」の巨大地震発生の可能性を示しました。県の試算では辺野古での津波の高さは12mで、新基地標高8mを4mも上回ります。その場合、基地内の有害物質が流出する可能性もあります。環境部が指摘した「環境保全への配慮が不十分」な点は、不承認理由にはほとんど入っていません。
なにより、新基地が日米共同使用となる可能性があることです。防衛局は「共同使用は考えていない」と県に回答していますが、南西諸島の状況を見れば、ウソであることは明らかです。普天間基地の代替施設という辺野古埋め立ての目的、理由そのものがウソになります。
12/1(木)滋賀集会【奄美市議・関誠之さん】
作られた自衛隊歓迎の世論
奄美大島の軍事要塞化は2014年から始まります。奄美市議会で「陸上自衛隊配備を求める意見書」が採択。更に「奄美市に陸上自衛隊を誘致する連絡協議会(奄美大島商工会議所等)による防衛省への「要望書」提出。これ以降、一気に自衛隊施設の工事が始まりました。19年からは自衛隊の行軍訓練(鎮西26演習)等、21年7月「オリエント・シールド(東洋の盾)」、20年10月、22年11月には「キーン・ソード(鋭い刃物)23」の日米共同訓練が行われる事態に至っています。
12団体が名を連ねた陸上自衛隊誘致の要望書は、1団体以外は電話1本で了承を得るという姑息なやり方で作られたもの。元自衛隊員佐藤正久参議院議員が島入りし画策していたと批判。登下校の時間に行軍訓練を行い自衛隊の存在を受け入れさせていると怒りをこめて話されました。
「キーン・ソード23」を取材するメディアを自衛隊が仕立てたマイクロバスに乗せ、『広報』の腕章をつけた隊員が解説をする。「見せたいところだけ取材をさせるやり方。大本営発表のようだ」と語られました。
関さんら市民は14年当初から、自衛隊・ミサイル配備の賛否を聞く「シール投票」(8割が反対)や世界自然遺産登録の島である奄美大島の環境を破壊するなと自衛隊施設の建設差し止め仮処分申し立てなど軍事化進行に抗してこられました。
12/2(金)広島集会【名護市島ぐるみ会議・西浦昭英さん】
徹底した非暴力で抵抗
仮に日本全体の人口を100人とすれば、人口比でみれば沖縄県人が1人、その他が99人となります。米軍基地負担を全体で100㎏の荷物に例えれば、そのうちの70㎏を1人の沖縄県人が背負い、他の99人で残りの30㎏をシェアーしていることになります。つまり沖縄県人以外は1人0.3㎏。1人当たりで言うと231倍もの重荷を沖縄県人に押し付けていることになります。これは差別以外の何物でもありません。
暴力の最たるものである戦争を阻止するには、徹底した非暴力で抵抗することです。
週の半分は辺野古で、半分は安和(名護市)でカヌーを出しています。辺野古ではカヌーで土砂を運ぶ船の入るフロートの開口部を閉じる抵抗行動。安和では桟橋の下にカヌーで潜りこみロープを編んでくくり付け、それをほどかなければ運搬船が出られないようにする抵抗をしています。安和の地上では、ダンプの出口の道路を数人で牛歩します。何もしなければ1日1100台が通りますが、牛歩で900台にしています。
これらの抗議行動に対し、多くの警備員、機動隊、海上保安官らが動員されて警備します。漁師も5万円の日当で船を出しています。高江の24時間警備を含め1日2000万円の税金が警備に使われています。
11月21~22日に本部島ぐるみ会議が中心になって塩川デーが取り組まれました。塩川港(本部町)は安和よりも遠いので普段なかなか人が集まりにくいです。塩川では土砂搬入のトラックは1日900台。それが数人だけでも集まれば600台に抑えられます。当日は県内外から百数十人が集まり、何と200台にまで押しとどめることができました。ぜひみなさん、安和、塩川に来てください。
12/3(土)沖縄集会【ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会・石原昌家さん】
沖縄戦再来の危機寸前に非武装・無防備の思想を
石原昌家さんは冒頭、「ついに沖縄戦再来の危機が寸前まで来ていることを、話さざるを得なくなった」と切り出しました。
11月30日の地元テレビのニュースは「キーン・ソード23」演習で自衛隊の戦闘車が乗り込んだ与那国島の映像。沖縄戦の最中に避難した自然洞窟を再び「整備しなければいけなくなった」と高齢の地元住民が話していました。21年5月、沖縄戦の研究者である石原さんは別のテレビ局に協力し激戦場、首里大名(おおな)の自然洞窟を案内。少年時代に遺骨や黒焦げの服を目撃した場所でインタビューを受けました。その場所と与那国の洞窟がそっくりだったのです。
石原さんは、1972年の「復帰」当時は自衛隊の配備に猛烈な反対運動が展開されましたが、現在は自衛隊を容認する空気が広がっていると警鐘を鳴らします。
方、沖縄では1953年に「戦争絶滅/人類共存」を掲げた世界の軍備撤廃運動が提唱されていたことを振り返ります。また、宮古島の中学生が県全戦没者追悼式で平和を訴えた詩を朗読して誹謗中傷攻撃を受けましたが、自分の精神的苦痛の中から武器を置く「無防備の考え」に到達した詩を発表して新聞に掲載されたことを報告しました。国際人道法に基づく無防備地域宣言を紹介し、若い世代に戦争体験を伝え軍隊・戦争を許さぬ働きかけを強めようと訴えました。
12/4(日)大阪集会【戦争をさせない種子島の会・和田香穂里さん】
基地受け入れ“容認”で公約違反の市長リコールへ
琉球弧の北端、薩南諸島に属する種子島の西約10㎞にある離島が馬毛島です。1950年代から80年までは小中学校もありました。豊かな漁場だったので種子島の漁師は「宝の島」と呼んでいました。渡り鳥の休憩地やウミガメの産卵地でもあります。
自衛隊馬毛島基地は、琉球弧の要塞化における軍備、物資、隊員等の集積展開拠点です。島嶼防衛とは、島を守るのではなく、島を前線にして国を守るということです。自衛隊の幹部が「台湾をめぐる有事になれば、自衛隊に住民を避難させる余力はない。自治体にやってもらうしかない」と言っていたとおり、戦争が始まれば住民の避難は事実上不可能です。
馬毛島のある西之表市の八板俊輔市長は1期目終盤である2年前の10月に「(国の米軍再編)交付金は騒音など顕著な基地被害を積み重ねないと算定されません。被害と引き換えに、はじめて手にすることができるのです。基地経済に依存しない街づくりこそ持続可能な社会への希望」等と述べていました。普遍的な見解だと思っています。
ところが2期目に入り、防衛省に協力して基地建設を事実上「容認」する姿勢に転じました。議会は基地賛成派、反対派が同数の中、反対派が議長を出してしまい賛成派が1人多く議決権を行使できるため、市有地を国に売却する議案などが可決されてしまいました。
先日「市長に辞任を要求する西之表市民の会」を設立。私も請求代表者になって11月28日には「市長解職請求書」を提出しました。リコール署名の期間は12月1日から1月1日までです。
公約を反故にする市長は市のトップとして相応しくありません。大阪でのカジノ反対運動の「見える化」作戦に学び、自衛隊馬毛島基地建設と米軍FCLP(陸上空母離着陸訓練)移転を何としても阻止していきたいです。