3月5日(金)から7日(日)の三日間、ZENKO沖縄参加団に取り組みました。
今月は、沖縄戦遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんが県庁前でハンガーストライキをすることになったことと、高江に新しいヘリパッドが建設されることに抗議して儀保昇さんが一人で座り込みをしていることがわかり当初の行程計画を大幅に変更しました。
1日目の5日(金)は、那覇空港から直接、東村高江に向かいました。「ヘリパッドいらない住民の会」の儀保昇さんが、新しいヘリパッドLZ17Aのゲート前でひとりで座り込みをしていました。沖縄ドローン・プロジェクトの奥間政則さんと現地で合流しました。
その後、米軍北部訓練場のゲート前で米軍返還地に米軍が廃棄した弾丸や放射性物質などを回収し、米軍にきちんと廃棄するよう一人で抗議している蝶類研究家の宮城アキノ隊員に激励に行きました。その時、ちょうど米軍装甲車がゲート前に入るところでアキノ隊員は、廃棄物のゴミ袋を米軍につき返していました。
名護市に戻って、奥間政則さんは、安和桟橋でドローンを上げて、山を切り崩す砕石場の様子を見ました。
2日目の6日(土)は、朝9時から沖縄県庁前の県民広場で、辺野古新基地建設の埋立て土砂に沖縄戦で多くの犠牲者をだした南部の土砂を埋立てに使用しないよう抗議のハンガーストライキを闘っている具志堅隆松さんの6日の最終日に私たちも一緒に座り込みました。
9時27分、なんと玉城デニー沖縄県知事が、具志堅さんに会いに来ました。連日具志堅さんは、県庁の知事に向かって「助けてぃくみそーり」と訴えていたのです。
知事は、具志堅さんに「人道的にいけないということが、法律的につながるかを一生懸命探している」と応えました。
その後、那覇市松尾の八汐荘で開催された沖縄平和市民連絡会の「沖縄タイムス」記者の阿部岳さんの講演会に参加しました。辺野古新基地は、陸自水陸起動団が米軍と共同使用するスクープについてのお話でした。
最終日3日目の7日(日)は激しい雨になりましたが、朝10時に糸満市米須の「魂魄の塔」で集合し、元糸満市役所の金城盛憲さんら4人と糸満市の沖縄戦戦跡や問題になっている熊野鉱山や束里鉱山に案内してもらいました。
沖縄戦で沖縄平和祈念公園のある摩文仁から喜屋武までの一帯は、住民の6割以上が犠牲となった「祈りの地」です。沖縄戦では、5月24日から6月23日の1カ月間で、沖縄戦のほとんどの人が南部に彷徨い歩いている間になくなりました。梅雨末期の大雨が続き、血にまみれた道はぬかるみ、死骸の上を裸足で逃げまどったといいます。南部の土砂を軍事基地の埋立てに使用することは、戦没者を二度殺すことになります。南部の戦跡をたくさん周る中で、沖縄戦の残酷さを改めて思い起こす参加団となりました。