東アジアを戦場にするな!ZENKOスピーキングツアー1日目〜韓国人慰霊塔、沖縄平和記念資料館、平和の礎、航空自衛隊与座岳レーダーサイト〜

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韓国人慰霊塔

朝鮮人軍夫として連行された 武田薬品の物資や弾薬などありとあらゆる過酷な労働をしいられ連行された1万人の殆どが亡くなった。

平和祈念資料館前で
沖縄戦の説明

沖縄文化の象徴である首里城の地下に日本軍は地下司令部を作った。10·10空襲後、県民総決死で戦闘に駆り出された…。

ヒトラーが自殺し、イタリアも敗戦、日本だけが孤立して戦闘をつづけた。
ウシジマ司令官自決の2日前、米司令官が死んだ、それから3日間報復戦で1万人が死んだ。松代大本営が完成した、、任務完徹したとウシジマ司令官が自決。そして住民の多大な犠牲がはじまった。

 

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平和の礎

朝鮮から強制連行され亡くなった方々の刻銘。103中隊で阿嘉島に行った3人の方が食糧難の中、稲のモミを食べたことを理由に日本軍に処刑された。渡嘉敷島でもさつまいもを食べたと処刑された方。さらに理不尽なことにこの方たちは靖国神社に合祀されている。この碑があることで事実がわかる。しかし、日本軍に協力した負い目で遺族が刻銘を希望されない場合が多く数は極わずかしかない。2017年は15名があらたにきざまれた。

 

師範学校鉄血勤皇隊。健児の塔。切り込み隊、豪掘り、通信隊として悲惨な任務を背負わされた。半数の319人が死亡。前太田知事も終戦をしらずに10月まで逃げ回った。師範学校在校生は、75%が犠牲になった。摩文仁は湧き水が2箇所しかなくここに集まった日本兵を米軍が攻撃し血の水になっていた。

 

航空自衛隊与座岳レーダーサイト

糸満市の与座岳にある航空自衛隊の管制警戒部隊。1944年の沖縄戦時に第32軍と日本海軍の見張り所として電波短信義を設置した。戦後米軍が接収し1952年に米軍航空管制警戒隊を進駐させた。1972年本土復帰で自衛隊の先遣隊に引き継がれ、隊舎、ヘリポート、レーダーなどが建設され、2012年に現在のFPS5のレーダーが、設置された。京都の米軍のエックスバンドレーダーと協同で探知している。集落が500メートルと近く電磁波の影響が心配されている。宮古島の自衛隊レーダーサイトも民家がすぐ近くで電磁波が問題になっている。韓国ソンジュのサードミサイル基地も集落から2㌔しか離れていないため電磁波の影響が問題になって住民が抗議している。

ユ・ミヒさんの感想
戦争体験が具体的によくわかり悲惨さを感じました。かなしかったです。

ビョン・ヒョンジュさんの感想
沖縄戦で10代の若者が犠牲になり強制された集団死や、日本軍が民衆虐殺したこととチェジュ島の4·3民衆蜂起で韓国軍が民衆を直接虐殺したことは、軍隊は住民を殺す、チェジュと沖縄は同じだと思いました。
韓国から沖縄に連れてこられ、帰りたかったろうがどのように殺されたのかを知り悲しかったです。

本日沖縄集会の案内が琉球新報に載ってます!
まだツアーは始まったばかり。
お近くの会場へぜひお越しださい。