【京都】1・9新春デモに45人参加!戦争や軍拡について一度立ち止まって考えよう!

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1月9日(月・休)青空のもと“武器はいらない!めしだ!誰もが生きやすい社会を!”をスローガンに新春デモを行いました。45人も参加して頂きました。デモに先立つ集会のオープニングでは、「月桃の花」歌舞団による力強いエイサーが披露されました。

今回のデモのスローガンは若者たちが発案しました。彼らは、「どうしたら同世代の人々に声が届くだろうか」「少しでも関心を持ってくれるだろうか」と真剣に考え、積極的に集会・デモを担ってくれました。

デモは三条河原から円山公園まで成人式や十日戎で人通りの多い中を、コールを若者たちが担当し、音楽コールや太鼓やタンバリン、鈴など鳴り物でにぎやかに楽しいものになりました。参加して頂いたみなさん本当にありがとうございました。

次回は2月25日(土)、3月18日(土)を予定しています。ぜひ一緒に歩きましょう。

新春デモ 若者のスピーチ

今日は皆さんに、私の好きな言葉を2つお伝えします。1つはドイツの牧師、反ナチ活動をしていた『マルティン・ニーメラー』氏の詩(ポエム)です。

ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。
私は共産主義者ではなかったから。

彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。
社会民主主義者ではなかったから。

彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。
労働組合員ではなかったから。

彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。

彼はナチ党の迫害が少しずつ拡大していく中、自分はその集団の当事者じゃないから、と見て見ぬふりをした。そしていざ自分が迫害対象になった時、助けてくれる人は居なかった。対岸の火事と放置していたら自分も戦火に巻き込まれた。その時には手遅れだった、と語っています。

2つ目の言葉はまた、ナチス時代を経験した『ハンナ・アーレント』女史の名言『悪の凡庸さ』です。

世界最大の悪は、ごく平凡な人間の行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を、私は「悪の凡庸さ」と名付けました。

私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的な状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう。

ハンナは、みんなが自分の頭で深く考える事を望みました。なぜなら「思考停止と政治的無関心」が当時のドイツ・ナチスのヒトラーという怪物を生み出したからです。

私は思慮深く熟考することが、人間性であり、破滅を防ぐことが出来るのだと思います。今回のデモのキャッチコピーは「武器はいらない!めしだ!」です。しかし、大学生はアルバイトで学費を稼がなくてはいけない。社会人は低賃金、職場環境の悪化で毎日しんどい想いをしている。更に新型コロナの脅威、自粛等、不安感が強いストレスフルな社会です。こんなご時世では「考える時間」が無くなるのは当然だと思います。一食を繋ぐのに必死で考える余裕なんて無いよ!という人のなんと多いことでしょうか。

でも、一度立ち止まって、考えてみませんか。私にもできて、みんなにも出来る簡単なことです。もし戦争や軍備・軍事拡大という言葉に、少しでも不安や違和感があれば、みんなで深く考えてみませんか。少し立ち止まって考えることが、意外にとても効果的なのかも知れません。もし皆さんが今の情勢に少しでも関心を持ってくれると、凄く嬉しいです。私たちは、現代の情勢を載せた新聞を発行したり、平和と戦争について勉強会をしたりしています。興味があればぜひ声を掛けてください。ありがとうございました。

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