3/10岩国基地フィールドワークを行った。案内人は前岩国市議の田村順玄さん。辺野古の新基地建設が焦点化されているが、その裏で岩国基地が極東最大の軍事要塞基地となっている。
■岩国基地の沖合移設
始まりは米軍岩国基地の沖合移設計画だ。1968年に九州大学構内にファントムが墜落し、基地撤去世論が高まると滑走路の沖合移設が計画される。騒音削減、事故の危険性の減少、公共工事の増加などの声と比較すると、表立って反対の声は少なく1997年には事業が着工した。この沖合移設事業とセットで行われた愛宕山地域開発事業は、「愛宕山を掘削し、沖合移設事業の埋立用土砂を搬出すること」と「跡地に大規模な住宅団地に造成すること」の2点であった。
1つ目の埋立土砂搬出については、愛宕山から海まで3.4kmをベルトコンベヤーで結び、毎日3万㎥の埋立土砂が搬出された。反対する活動家も少なく最終的に1,995万㎥が切り崩され、かつて標高120mあった山が標高60mの更地となった。これは2,100万立方㍍の辺野古と同規模の埋立土砂の量である。
2つ目の住宅造成は、跡地である60haの土地に5,600人の住宅地を造成する計画であったが、2006年に山口県を介して岩国市に250億円の赤字負担(2対1で県、市が負担)の圧力をかけ、2007年に事業が中止。米軍住宅化を目論む国(防衛省)が土地を買い取った。
2018年3月の艦載機移転に伴い米兵や家族、軍属3,800人も移転し、愛宕山には米兵や家族が1,000人規模で暮らす米軍住宅「Atago HILLs(アタゴ ヒルズ)」が完成した。1戸あたりの建設費はなんと8,000万円だ。
「愛宕山を守る会」は2010年8月から、愛宕山神社前広場で米軍住宅化に反対する座り込みを毎月1の付く日(1日、11日、21日)に行なっている。粘り強い座り込みと10万筆もの署名により元々1,040戸の計画であった米軍住宅は262戸に縮小された。しかも、実際に入居しているのはわずか40戸あまりである。
つまり愛宕山地域開発事業とは、埋め立て土砂を安値で手に入れ、県と市にわざと借金を背負わせて、米軍住宅を整備する計画であったのだ。
■恫喝と懐柔により反対を封殺
2006年3月、アメリカ海軍厚木基地からアメリカ海兵隊岩国基地への航空母艦載機移転の賛否を問う岩国市の住民投票が行われ、受け入れ「反対」が9割近くを占めた。同年4月の市長選でも、受け入れ反対の井原勝介氏が当選したが、日米両政府は移転に最終合意。反対を訴える岩国市に対し、防衛施設庁(当時)は建設中だった市役所庁舎建設のための補助金カットを通告し、岩国市を恫喝してきた。井原氏は民意を問うため、2008年2月に市長を辞職して出直し市長選にのぞんだが、移転容認候補に敗れた。「基地と共存」をうたう新市長誕生で、政府は一転、補助金を満額支給。米軍再編交付金の支給も始めた。
同時に巨額な税金を投入し、施設整備を通じ懐柔が行われている。2017年11月には「Atago Sports Complex(愛宕スポーツコンプレックス)」がオープンした。同施設は、野球場(通称:絆スタジアム)、ソフトボール場、陸上競技場、バーベキュー場などの複合施設で、米軍提供施設でありながら、米軍と市民による共同使用となっている。しかし、年2億円の維持管理費は市と米軍の共同負担(実質的に日本の負担)となっている。また岩国市と基地は17年10月、共同使用に関する現地実施協定を締結しているが、全容の開示は行われていない。
その他、岩国医療センターが整備され、消防署が集約化されている。
また岩国基地は軍民供用空港として使用されている。岩国〜羽田、岩国〜那覇の航空路が開設され、広島空港を利用するよりも便利であると市民の足となっている。
これらの政策により市民の反対の声は封殺されたのだ。
■嘉手納を超え極東最大の基地に
2010年には沖合移設工事が完了し、岩国基地の総面積は1.4倍に拡張され、空母も接岸できる岸壁まで造られた。それが米軍再編と重なり、基地強化に利用されていく。
2014年8月、沖縄・普天間基地から空中給油機15機が移転。2017年1月にはF35Bがアメリカ以外で初めて配備され、2018年3月に厚木基地から空母艦載機61機の移転が完了し、岩国基地に常駐する米軍機は2倍の約120機に膨れ上がった。こうして沖縄の嘉手納基地を上回り、極東最大の軍事要塞基地となったのだ。