韓国のろうそく革命は長い民衆闘争の経験と新しい時代への熱望が作った結果である。
1.解放以降 絶えず続いてきた韓国民衆の民主主義に向けた闘争、そして挫折の歴史
2016年10月から始まった韓国のろうそく革命は、冷たい冬を熱し、2017年3月10日、憲法裁判所の裁判官全員一致で朴槿恵大統領の罷免が決定され、続く5月に新しい政権に交代して一段落しました。さて、ろうそく革命が果たして革命でありうるのかについて幾つかの問いがあります。韓国での朴槿恵弾劾闘争に対する評価については、政治的立場や経験した立場によって様々な主張があります。しかし、民衆の力で政権を退陣させ、新たな政権に交代させたという点が革命的と言えるでしょう。
韓国の現代政治史を振り返ってみると、民衆の闘争で政権を退陣させた経験を幾つか挙げることができます。
1960年、李承晩政権の不正選挙に抗議し、学生が中心になって起こった4.19革命で李承晩政権を退陣させましたが、次く朴正煕の軍事クーデター以後18年間の暗い軍事独裁時代に、韓国の民衆は民主主義のための至難の闘争を続けてきました。その結果、1979年に釜山と馬山の民衆による野火のように起きた「釜馬抗争」により朴正煕政権最大の危機を作り、これによって政権内部で分裂がおこり朴正煕が狙撃されて死亡。軍事政権が退き、民主化の春が来ると期待されました。
しかし、再び全斗煥をはじめとする新軍部勢力が軍事クーデターを起こし、韓国民衆の抵抗は激しさを増しました。1980年に光州民衆の抵抗を銃刀で虐殺し全斗煥が大統領になると、韓国では広州虐殺真相究明を掲げて激しい民主主義闘争が行われました。それらの闘争が積もって1987年の6月抗争に続き、最終的に「大統領直選制」を勝ち取りました。しかし、当時の有力野党政治家たちが互いに争い、最終的に選挙で盧泰愚軍事政権を誕生させてしまいました。このように、韓国の民衆は命をかけた闘争で作った有利な情勢に、とんでもない勢力によって再び権力を奪われてしまうという敗北を経験しなければなりませんでした。このように、韓国の現代史で、民衆の民主主義闘争は非常に激しく熾烈に権力を敗退させる力を前進させましたが、未完の革命で終わっていました。
一方、選挙で誕生した民主的な政府に希望をかけることもしましたが、結局、階級的には資本側の政権であることが判り、労働者に大きな失望を抱かせることもありました。このような状況を韓国の民衆は「お粥を炊いて犬にやる(無駄骨を折るの意)」と表現することもあります。韓国民衆のろうそく闘争でパク・クネ腐敗政権を退陣させ、次々と選挙を通じて新しい政権を誕生させたという点で、4.19革命や6月抗争とは異なるともいえます。しかし、この政権が労働、環境、平和、教育、福祉などさまざまな面で進歩的価値と民主主義を実現するかの判断を容易にすることはできません。これからもっと見守らなければならない部分が多いです。
2.ろうそく革命は、韓国社会の全世代にわたる多様な絶望と希望が出会い、強力な政治エネルギーとして爆発した結果である。
激動の韓国現代史の中で、労働者と民衆の闘争は、時には非常に激しい様相を帯びて展開されました。これは韓国が分断という特殊な状況下で民主主義を圧殺する政権による激しい弾圧が作り出したものであるとも言えます。韓国の民衆は不当な現実に抵抗することを辞めませんでした。
4.19民主抗争、釜馬抗争、5.18光州民衆抗争、87年6月抗争、789労働者大闘争、以来多くの労働者の生存権闘争と労働法改正、構造調整粉砕闘争、米軍装甲車により犠牲となったミスンさん・ヒョスンさんの追悼キャンドル集会、大秋里米軍部隊反対闘争、狂牛病ろうそく集会、セウォル号真相究明闘争、江汀(カンジョン)海軍基地反対闘争、密陽(ミリャン)送電塔の建設反対闘争、済州第2空港建設反対闘争、原子力発電所反対闘争など分断70年の間に韓国民衆の闘争は一日も休む暇がなく、時折命をかけなければなりませんでした。これらの民主主義闘争の経験が凝縮され、朴槿恵退陣キャンドル行動でも、再び巨大な波となり、腐敗した政権を引きずりおろし、新しい政権に交代させる力となって集まったのです。
民主主義闘争を経験しつつも常に未完の革命で挫折した経験を持つ韓国の既成世代は、政治的民主主義への熱望が非常に大きい。一方、解放後最大のスペックを積んでいると言われている韓国青年世代は、経済的基盤を形成する機会を剥奪されており、この世代の絶望も非常に大きいと見ることができます。そんな中、チェ・スンシルと朴槿恵の国政壟断は、政治経済すべての分野で多くの世代の怒りを買うのに十分でした。ですから、私は、韓国のキャンドル革命を、既成世代の政治的民主主義への熱望と青年世代の経済・文化への絶望が出会い、強力な政治的エネルギーを生み出したものなのではないかと分析します。
3.ろうそく革命以降、限界と課題
ろうそく革命…まだ革命であると命名することができるかは分かりません。事実、ろうそく革命は、あまりにも非常識な国政壟断に対する怒りの方向は同じでしたが、既成世代と若年世代そして様々な層の人々が持っている新しい世界への要求が集められたものではないからです。お互いのコミュニケーションの可能性もそう高くは見えません。また、ろうそく革命で誕生した政府の階級的性格に限界が明らかになって以降、政治の方向性が曖昧だからです。サード配置強行と工事強行により住民への苦痛を無視する態度、新古里5・6号機公論化の過程と、高レベル核廃棄物貯蔵の問題で見せた脱原発政策への微温的な態度と原発輸出への態度、労働者の闘争に対する否定的な態度、難民などの少数者の政策、その他韓国社会の多くの積もった課題に対する態度などが、いくつかの懸念を生んでいます。しかし、民衆の闘争により作った政権退陣と交代は、明らかに革命的な経験でした。
したがって、ろうそく革命の成果と限界、そして課題を一緒に見ることが非常に重要だと思います。その点について、韓国現代史の他の革命闘争と比較しながら考えてみたいとおもいます。先の革命闘争との違いをいくつか見ると、
まず、民衆の闘争で憲法裁判所という制度が合法的な過程を通して政権退陣を実行したということです。 (比較:4.19-直接下野宣言、軍事クーデター/釜馬抗争 – 軍事クーデター/ 6月抗争 – 直選制争奪)
第二に、政権が退陣してから早い時期に政権交代を成し遂げたということです。 (比較:軍事クーデター/盧泰愚当選など)
そして、続く地方自治政府まですべての既存勢力を交換したということが異なります。
第三に、以前の革命的な経験は、その後、様々な民衆運動の組織が建設されるなど、民衆闘争の独自の主体を形成しましたが、ろうそく革命は、民主党という自由主義政権に力と課題がほぼすべて帰結されているという点が異なります。これまでよりも「青瓦台に向けた国民請願運動」が多くなっています。これは一部の評価通り、民主主義の拡大と見ることは難しいです。
第四に、6月抗争は時を経ずして労働者と民衆の実際の生活を変える階級闘争に相当な影響力を及ぼしましたが、ろうそく革命はむしろ階級闘争の強化ではなく、文化闘争を強化する方向で現れています。 6月抗争後は続く7,8,9月の労働者大闘争とそれ以降の多くの労働者の組織と闘争を触発した力になったのに対し、ろうそくはMe Too運動、憎悪発火の問題、女性平等など、文化を変える闘争に影響を与えていると思います。最近では、韓国では6万人もの女性がソウルの大学路に集まって「同一犯罪に対する男女偏向捜査反対」を要求してデモを行いました。政治的議題ではないことについて、6万人もの人が社会的行動をしたのは注目すべき点です。
ろうそく革命は、現在進行形だと見ることができます。それが政府を中心に帰結されているのが残念ではありますが、政府の領域で制度を変えることは人生の多くの部分を変化させることにもなります。しかし。革命は決して政治権力の交代にでもって完成されるものではありません。革命の意味解釈は「名分が変わる」といいます。それであれば、生の名分を変えることが革命です。世界を支配している権力は少数を除てはすべてグローバル資本主義を貫徹させようとするでしょう。それが彼らの政治名分です。それであれば、韓国と日本をはじめとする世界の民衆の生の名分は何であるべきでしょうか。
私は持続可能で平等で平和な生活のために、グローバル資本主義に代わる民衆の代案世界化が必要だと思います。世界への代替的なビジョンを共有し、戦って代案世界化を構成する必要があると思います。自然と人間の生活を疲弊させる資本主義に代わる新しい世界への民衆の夢で、日常の文化を変えていく時、政治権力がそれを無視できないような力になるだろうとします。韓日民衆が代案世界化を一緒に構成する同志になる道を具体的に発見できたらと思います。