東アジアを戦場にするな!ZENKOスピーキングツアー3日目〜読谷村チビチリガマ、恨の碑、沖縄国際大学ヘリ墜落現場〜

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チビチリガマ(読谷村)

地上戦が始まる前、沖縄の人たちには捕虜にならずに死ねと徹底して教え込まれた。
読谷村に米軍が最初に上陸。
チビチリガマに110数名の住民がかくれていた。中にいた中国に従軍経験のある看護士は、鬼畜の米軍は日本軍が中国で行った非道よりさらにひどいことをすると伝え住民は、捕虜になることえらばず布団を燃やす窒息死や看護士の注射などで80数名が死んでいった。
家族が殺し合った強制集団死の事実は33回忌をむかえても語られることはなかった。

 

恨の碑(読谷村)

1996年沖縄ZENKO集会にこられた阿嘉島と宮古島に強制連行された元朝鮮人軍属軍夫のお2人が仲間の遺骨収集もできていない、碑を立てたいと希望された。
韓国ヨンヤンでは地元芸術家と金城実さんがレリーフをつくった。
沖縄でも、碑をたてるための会を発足しこの恨の碑が2006年読谷村に建てられた。
怯えながら強制連行する日本兵。毅然とした表情の朝鮮人。金城さんの作品の中でも日本の加害を扱ったレリーフはこれしかない。
沖縄では軍属として、差別され朝鮮人部隊4中隊、3000人が44年夏、軍事特設水上勤務隊に配属。少ない食事で荷揚げ作業で過酷な仕事をさせられ、セメント袋を担ぎ汗で体がセメントで固まるような状態。水が飲めず可愛そうだと馬の水をあげると日本兵にさんざんにさせられた。
地上戦に武器もたされず前線に爆弾を運びにいかされ死んでいく人。摩文仁で最期はやられる。
読谷村部隊も首里城近くの激戦地で戦闘させられたのではないか。
何人連れてこられてどうなったのか、記録がない。補償が払われても供託され日韓合意で個人へは補償されない。
沖縄では韓国の人たちの遺骨がたくさんある。遺骨が戻ったのは一人だけ。
沖縄には慰安所は114箇所。日本軍慰安婦にさせられた方も含め沖縄に強制連行された方は4、5000にんはいるだろう。そのまま名もなく遺骨になったまま。70年立っても何も解決されていない。

沖縄国際大学 ヘリ墜落現場

沖縄参加団解散式

皆さんの感想です。
明後日は岩国フィールドワークです。

ビョン・ヒョンジュさん
基地の島、戦争がほんとに近くにあることを実感しました。くじけずに頑張る皆さんに敬意を表します。

ユ・ミヒさん
3日間意義大きかった。平和運動しなければならないとほんとに思います。こんなプログラムを韓国でもやってみたい。日韓連帯の運動交流をすすめたい。

当真さん
大変なのは宮古だけではない。東アジアの平和のつながりを大切にしたい。

* * *

◆宮古島から参加した当真まり子さんのツアー感想

東アジアの平和というのが心に響いた、でもあまりピンときていなかったのですが、高江、辺野古、ガマにも行って嘉手納基地、普天間基地も見ることができて、大変なのは宮古だけじゃないとわかりもっと頑張りたいです。
宮古は、市長が全面的に基地うけいれを承認したわけではないと言いながら10月30日から工事を始めた。本体工事ではないと言いながら防衛局は工事を始めた。毎朝毎朝ゲート前で立って反対している人たちがいます。私たちは、市主催の説明会を開いてください、それじゃないと工事を進めないという約束でしたよね、といっていますが、それも反故になっています。野原の人たちも千代田カントリー周辺の人たちも80%が反対、弾薬庫予定地の保良のひとたちも80%が反対、七又の人たちも100%反対です。私たちは負けるわけにはいきません。
今回のツアーでおもったのは中国、韓国、琉球弧も海で隔たっていたけど昔から文化はつながっていた。もう一度平和の鎖のようにつながって行けたらすごいなと思いました。東アジアの平和をともに作っていきましょう。ともに頑張りましょう!


ぜひ集会会場で生の声を聞いてください。